親子で発達障害がわかるまで⑤私の幼少期編

小さい頃の私。

民間の療育に通うため、長男に病院で診断書を貰うよう予約をした私。
そして同時に、自身も病院に予約して発達検査をしました

典型的な展開ですが、私も発達障害の項目に当てはまるからです。
丁度実家が改装する関係で、片づけつつ過去の私の話しや、写真と成績表をゲットが出来て、病院の判断材料が複数揃いました。

母が言うには、私は言葉数が少ないものの、絵ばっかり描き1人遊びや言葉の理解が出来て、2歳にトイレトレーニングなども勝手に終わらせて楽な子だと。
ただ、のんびり屋の癖に、やたら迷子や脱走する子だったとか。←色々濃厚だね☆

そして何より、私は年少児は問題児。
結構教育に力を入れてた幼稚園だったのですが・・

・マラソンの練習は、かならず脱線・脱走。
・英語教育が盛んで、海外のお菓子をよく食べさせられ必ず吐き出す。
・外国人教師との英語の音読は100%脱走。

そんな子どもだったので、勿論先生に怒られまくり。最終的にはこの年にして不登校になりました。

腹痛ばかりで幼稚園を行きたがらない私を、母は思いっきり転園させました
もうこの時の私は、人間不信が爆発して震える中、近場の幼稚園の園長先生と面接。
人と目すら見なかった私なのですが、園長先生には懐き、あまり喋らない私が沢山会話をしたそうです。

そして母は、年少時代の問題行動を伝えた上で、園長先生と交渉。

「大丈夫ですよ。この子、反応はのんびりだけど、頭には言葉と考えがいっぱい詰まっている子です。少し彼女の返答を待って会話をしてけば、色々落ち着きますよ。」
さすが児童を沢山見てきて、私の特性を言い当てた園長先生。
ただ、大丈夫じゃなかったです・・!今の時代だと発達障害です・・!
年中が始まると同時に、私も転園したのですが、その先はピタッと園生活の問題行動がおさまったとか

この頃から表面上は学生時代まで、落ち着いて真面目な子という印象だと思います。
でもやはり、集団行動は苦手で、誰かとチームを組むという課題にはビクビクしていました。

愛着障害に似た症状の子に攻撃された経験があり、1人でいる=攻撃されやすい。
また私なりに読めない空気を読んで、1人でいる・友達がいない=悪い事。
という方程式が年々出来上がり、5年生位にはなるべく人といるべきという構想図が出来て、人といる事を意識しました。

明らかにキャパを越えたことをしてきたなと思います。幸い、周りの子達が優しく、大人しいながらも毎日人と遊んでいる幼少期でした。
ただ、「自分が劣等な存在」「私といてごめんなさい・一緒にいてくれてありがとう」と内心思いつつ、口癖は「ごめんなさい」。
何より「皆と違う自分の違和感」がありました。

ただ、人と触れ合ううちのそれなりに学習し、高校にかけて本当の友達が出来たり楽しい学生生活や青春も味わえました。
でもまぁ、どうしても「天然」・「マイペース」扱いされましたが。
自分では「凄く人に合わせてると思うけど・・!?」と友達との意識の差は、今でもかなり感じてます(笑)

ただ、学生時代で許されてたマイペースさは、社会では通用しません。
その事は次回の「私が発達検査を受けた話し」でお話ししようと思います。

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